菅原 曇華 すがわら どんげ
   

掬水月在手 弄花香満衣
水を掬すれば月手に在り 花を弄すれば香衣に満つ(禅語)
原詩は唐の詩人 于良史の『春山夜月』
「春山多勝事、賞翫夜忘歸。掬水月在手、弄花香滿衣。興來無遠近、欲去惜芳菲。南望鳴鐘處、樓臺深翠微。」(春山勝事多し、賞玩して夜帰るを忘る。水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ。興きたれば遠近無し、去らんと欲して芳菲を惜しむ。南のかた鳴鐘の処を望めば、楼台 翠微に深し)の中の五言対句。
『虚堂録』に「僧問。有句無句。如藤倚樹。此意如何。師云。掬水月在手。弄花香滿衣。」(僧問う。有句無句は藤の樹に倚るが如し。此の意如何。師云う。水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ。)とこの詩が引かれ、有句と無句とは樹にからんだ藤のようなものという意味はどういうことですかと云う僧の問に、水を手ですくえばその水に月が写り、花を摘めばその香りが自分の衣服に満たされると云った。
「有句無句。如藤倚樹」は『祖堂集』に「雲嵒至〓(三水為)山。〓(三水為)山泥壁次問。有句無句。如藤倚樹。樹倒藤枯時作摩生。雲嵒無對。」(有句無句は藤の樹に倚るが如し。樹倒るれば藤枯るる時作摩生。)とある公案で、「有句無句」は洞山良价禅師(807〜869)の『寶鏡三昧』に「汝是非渠。渠正是汝。如世嬰児。五相完具。不去不来。不起不住。婆婆和和。有句無句。終不得物。語未正故。」(汝これかれにあらず、かれまさにこれ汝。世の嬰児の五相完具するが如し。不去不来、不起不住。婆婆和和、有句無句、ついに物を得ず。語いまだ正しからざるが故に)とある。
137.6p×34.3p

慶応2年4月2日(新暦1866年5月16日)〜昭和31年(1956)8月29日歿
 新潟県下足軽町の菅原権九郎・トメの次男として生れる。法諱は時保、通称は寅次郎、室号は曇萃軒、道号は寿仙など。臨済宗の僧。8歳の時上州利根郡吉祥寺に入り、漢籍を学んだ。18歳のとき群馬県川場村吉祥寺の菅原碩應和尚について得度。明治19年(1886)、鎌倉の円覚僧堂に掛搭、今北洪川老師に参禅。その後川口長徳寺の武田文国、天龍僧堂の由理滴水・高木龍淵、瑞龍僧堂の遠山禅外、建長僧堂の霄貫道の各老師に歴参。
 建長寺では曇華軒貫道老師の侍者となり、宗学林の教師も勤めた。一時神奈川県足柄の了義寺の住職となるが、35歳のとき再行脚、建仁僧堂に掛搭。
 明治33年に京都建仁寺に入り、島地黙雷老師のもとで修行して、明治37年印可を受けた。明治38年5月28日、第236世建長寺派管長に就任。

推奨サイト
http://kotobank.jp/word/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%9B%87%E8%8F%AF
http://www.kowado.net/jinmeiss.htm
http://jyuluck-do.com/gaka_meikan/sugawara-donge.html
http://www.kihindo.jp/koten/0904.html


参考文献一覧      HOME